くるくるばたばた

主に東方SSの解説や感想と、稀に漫画とかラノベとかその他。

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東方SSメモ111
 創想話無印で面白かった作品を、作品集ごとに個人的にメモしたり、なんかその作品集について適当に語ったりする記事。作品集111にて。
 スレに投げたレビュー(「作品集ごとに一気読んでレビュー」名義)の転載も入ってるかも。

・『薄明の空には、いとおしUFOを浮かべて』(プラシーボ吹嘘氏)
 U(第一章) F(第二章) O(第三章)

 今のところ、「もう東方二次創作やらなくていいな私」とパレットさんに思わせる可能性が一番か二番目くらいに高いのがプラシーボさんだと思ってます。
 以下、スレに投げたレビュー転載。

【あらすじ】
 一面的には命蓮寺に身を寄せたぬえちゃんの自分探し。
 全体的にはなんかいろいろあって星蓮船組が地霊殿に殴りこんでガチバトル。
 合計400kb越えの大活劇。

【感想】
 面白すぎて死にそうになる。星蓮船組や地霊殿組が好きなら、悪いこと言わないから読んどけってレベル。

 で、まず最初に気になった箇所を述べてしまいたい。一つは冗長さ。文章としての冗長さと言うよりはエピソード単位での冗長さ、平たく言えば「これ削ってもいいんじゃないの?」というエピソードがあるような気がしないでもない。文章読んでるだけでだいたい面白いし、結構入り組んだ話なので、よく考えたらいるんじゃないかなーという気になってしまうので本当に欠点なのかはわからない。
 二つには、誰が喋ってるのかわかりにくい箇所がわりと頻繁にある。扱うキャラが非常に多い上に口調で差を付けにくいキャラばかりなので仕方ない面はあるが、これは作者さん次回作では頑張ってほしいところ。
 三つ。これは必ずしも欠点とはなりえないというかしないようにする読み方があると後に書くけども、パロというか、おそらく普通にシリアスな幻想郷世界観を想像した場合、そこには釣り合わないネタが多少ある。

「魔界に千陸万海を数えれど、覆う空は唯一つ。その空の色を統べるお方が魔界のどこかに在(おわ)すとは聞き及んでいましたが、実在していたとは。して、文(ふみ)にはなんと?」
「貸してたWii返せ、と。私としたことがうっかりです」(本編より抜粋)

 こんなのとか。気にしない人には問題ない。

 というわけで、気になった箇所は以上。ここからスーパー褒めタイム。



 端的にこの作品──と言うより作者であるプラシーボ吹嘘氏についての私見を述べるならば、氏は、『文章力を手に入れてしまった中二病患者』である。文章力という言葉の中身は曖昧に受け取ってもらって構わない。実を伴った中二病と理解してもらえたら良い。
 中二病という言葉を目にして、あまり良いイメージを持たない人もいるだろう。もうこの時点で(笑)みたいな感じに受け取ってる人もいるかもしれない。だが冷静に考えて欲しい。中二な話は、本来、面白いのだ。ワクワクするのだ。というかよく考えるのだ、東方は原作からしてよっぽど中二だ。『運命を操る程度の能力』『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』『死を操る程度の能力』『境界を操る程度の能力』……たとえばこれらのワードにときめきを感じたことはないだろうか。むずがゆく、しかし得も知れぬ魅力を感じたことはないだろうか。……

 さて、中二中二と言ってきたが、文章力持ちの中二病であることで、具体的にどのような『面白さ』が作品に現出するのか説明しなくてはなるまい。

 まず第一に、バトルが面白い。ヤバい。マジでヤバい。おしっこもれそうになるくらい盛り上がる。
 この作品はぬえちゃんの一人称である。そのため、主にバトル部分はぬえちゃんと、その相手を担当するこいしちゃんとの戦闘(正確にはこいしちゃんの担当をぬえちゃんが請け負ったんだけど)を軸にしつつ、乱戦模様を描く形になっている。ぬえちゃんとこいしちゃんの戦闘は独自解釈を凝らしまくった中二ィなバトルなのだが、それぞれの些細な攻撃それぞれが、よく『考えられて』いるのが感じられる。スペルカード宣言してガッシボカというようなのの対極にある戦闘描写。

(以下本編より抜粋)
 彼女は単に『瞼を閉じている』だけに過ぎない。自らを一個の眼球に仮定義し、指先に意識の壁を作りだして視界の一部を遮る。そんな見立てによって積極的な作用を持つ死角を作り出していたのだ。見えない部分は存在しないという勝手な概念を押し付ける、認識の真空とでも称すべき攻撃を受けた使い魔は、己の無意識から現実へとフィードバックされる被害に忠実に大破させられることになる。
 ごり押し極まりない催眠術。この程度、原理さえ分かれば幾らでも対策の取りようがあった。
(以上本編より抜粋)

 自前の論理で編み上げた戦闘はハッタリも効いていて、もう全体的にいろいろ新しい。
 また、書き込みがハンパじゃないので、独自解釈が組み込まれてない部分すらも新しいものに見える。
 なんというか……『鮮明』なのですね。視力が落ちてて世界がぼやけてたところに、眼鏡をかけてみたらすごく景色が細かく美しく見えたかのような。それは今まで見ていた景色とはまったく別のものにしか思えない。

 また、バトルを魅力的に見せる要素は、戦闘描写そのものだけではありません。キャラの掛け合い。言葉の応酬。原作においても前口上が魅力的な東方だからこそと言うべきなのでしょうか、やはりそれも気にしたいところなのですが……そこにおいても、この作品はすごく好い。

(以下本編より抜粋)
「覚妖怪も舐められたものです。仕事をペットに任せっ切りとはいえ、伊達や酔狂で地霊殿の当主を務め上げている訳ではありません。――ふむ、一騎討ちをお望みとあらば、今更ですが受けて立ちましょう。でも、直接手を下すのは苦手なのよねぇ。……南無阿弥陀仏と唱えれば、私にも仏の加護があるかしら」
「それは無論のこと……。故に私は、私自身の理を以って、貴方を成敗いたします」
「ああ、次の貴方の台詞は――」

 両手に対を成す巻物の片方から妙(たえ)に輝く文字列が引き出され、もう一本へと流れ込んでゆく。一足飛びに相手と同じ高さにまで舞い上がった大魔法使い。その腕が胸の前に交差されることで、文字列の帯は円環を結ぶ。覚妖怪は双眸を閉じ、第三の目で相手を見据えた。旧地獄から吹き上がる怨念混じりの風が、その洋装をあやすように揺らしている。

「『懺悔するなら今の内よ』、と言う……!」
「懺悔するなら今の内よ。南無三――ッ!」
(以上本編より抜粋)

 また、ここでは抜粋しませんが、ぬえちゃんとこいしちゃんの掛け合いは素晴らしいです。大好き。



 第二にだが、『ほのぼのさ』の演出に成功している。真の中二というのは、『マジな場面でもあくまでそのキャラなりにマジ』なキャラをしばしば生み出す(偏見かもしれない)。
 『マジな場面でもあくまでそのキャラなりにマジ』これの何がいいのか? 『あくまでそのキャラなりに』などは要らず、『マジな場面ならマジ』で良いのではないか? ──実は意外とそうでもないケースが多い。マジな場面だからといって全員がシリアス一辺倒になってしまうと違和感がある、というものはそれなりに見られるのだ。
 特に、私たちが読むのは東方の二次創作である。
 私たちが原作で見てきたあれらのキャラが、何事かに対して本当の意味で執着し、必死になる。そのような姿をイメージするのは難しい、という者も多いのではないか。「東方にシリアスなんてありえない」という主旨の意見も、私は目にしたことがある。私自身はその意見を全面支持はしない(どのような二次創作をするかは自由である)が、ある面では、素直なところ、一理あると感じている。そのため、『ほのぼのさ』の演出──言うなれば、作品の中では常に余裕を忘れない、というような姿勢は間違いなく長所であり、また実質、非常にレアなものであるとも思うのだ。


(以下本編より抜粋。前述した『鮮明さ』も意識して見て欲しい)
「八咫制御基盤(リミッター)、『乾』『坤』共に沈黙! イ号からト号太陽炉(かみさま)、連鎖活性開始! 私の元気も溌剌! システムオールレッドの大盤振る舞いといきますわよー!」

 高々と噴き上がった火焔は十分に明るかったが、その紅蓮を裂いて迸った光の明るさは度を越していた。純白を超えた驚きの白さ。直(じか)に見ればきっと眼を沸騰させられていたに違いない。
 咄嗟に展開した暗雲さえ侵食するほどの強烈な光が萎んだ中心には、得意げな面持ちの地獄烏が一羽。舞い散る炎の羽根、深みを増すマント裏の宇宙。右腕に装着された六角筒が機械音と共に開き割れ、濛々と蒸気を排出する。もう、もうどこからツッコミを入れれば良いのか分からない。

「無駄かもしれないけど言っておくよ……。おくうー! あんまり調子に乗らないようにねー!」
「大丈夫大丈夫! 私は最強だからー!」
「聞け馬鹿ガラス!」
「見ててお燐。見てて下さいさとり様! 究極の力を身に付けた私の勇姿を! ご褒美はビー玉の詰め合わせが良いな!」
(以上本編より抜粋)


 彼女たちは常に余裕を、自分を忘れない。私たちが知っている彼女たちの魅力を損なうことなく、マジな場面を踊りきっているのだ。
 ……ちなみにここでは『マジな場面でのほのぼのさ』について述べたが、マジでない場面でのほのぼのさももちろん確保されている。というかこの作品、意外と分量的にはバトルは少ない。日常的な場面もそれなりに多い。そして日常場面では、ぬえちゃんをツッコミ役において、ほかはわりとみんな天然さんだったりする。むしろバトル場面でもそうだったりする。
 だから、そう、まとめるならば、日常場面でのほのぼのさをバトル場面でも忘れない(余裕を忘れない)といったかたちだろうか。

 さて、ここまでで挙げた『バトルの面白さ』『ほのぼのさの演出』の二つにおいて、共通して重要な事柄がある。
 それは、『掛け合いの上手さ』だ。
 キャラ数の多さも相まって、会話のキャッチボールも多い。合計400kbと長さもある。それを保たせるためのこの作品の根本的強さは、もしかしたらそれなのかもしれない。会話の一つ一つが、クスリとさせてくれたり、かっこいいと思わせてくれたり……この言葉に頼ってしまっている感があるが、つまるところ、魅力的、なのである。そしてそれはキャラの魅力にも繋がるのだ。

 この作品はほんとどのキャラも魅力的だけど、がんばってお気に入りを挙げるなら、古明地姉妹とパルスィかなぁ。あれはヤバい。ほんとヤバい。



 そして第三は、第一第二の話にも通じるのですが……この作品におけるキャラの魅力。それについて少々私見を。
 結論から言ってしまうと、これを私は、「原作キャラに限りなく近いキャラ構築」であるからと考えています。正直に言うと、原作キャラに近いキャラ像を映し出すということにおいて、この作者さんの右に出る者は現状いないと思っています。
 原作キャラの持つ余裕。ほのぼのさ。どこかとぼけた空気。中二性。掛け合いの妙。
 これらを再現した上での星蓮船VS地霊殿の大乱戦。それは、まさしく私たちが知っているキャラたちが、縦横無尽に遊びまわっている様をイメージさせてくれます。そう、バトル。バトルという舞台も、これらにさらに上乗せしてキャラクターの魅力を映してくれています。さとり様のカリスマ。白蓮のかっこよさ。こいしちゃんの、一枚壁を隔てたところにいる感。……

 最初のレスで、私は以下のように書きました。

>これは必ずしも欠点とはなりえないというかしないようにする読み方があると後に書くけども、パロというか、おそらく普通にシリアスな幻想郷世界観を想像した場合、そこには釣り合わないネタが多少ある。

 たしかに、普通にシリアスな幻想郷世界観を想像した場合、いくらか目に付いてしまうネタはあるでしょう。『マジな場面ならマジ』になる作風であれば、これらのネタは異物となってしまうことが多いかもしれません。
 しかしこのようなネタ……このようなユルさから、私は原作の空気を想像するのです。例えば地霊殿、アリスとゲームネタを語りながら地下へと潜っていった魔理沙のように。
 そのように感じ取ろうとすれば、これらのネタが普段楽しめないという人も、意外と楽しめる……かも?


 以上で終わります。
 まだ読んでない人がいたら読んで欲しいなーと思いながら。
 長文失礼しました。


【五段階評価では分け足りないので百段階評価】94/100点





 そのほか一言メモ。
・『今宵は永夜をあなたと共に』(前編 中編 後編)(綾宮綾氏)は文章的にかなり気になる箇所が多いんだけど、こういうスタイルの二次創作は個人的に好きなんだ。永夜抄の雰囲気がすごくよく出てる。
『恋色スイーツ』(gene氏)が、分類に「寸劇」とあるけどまさにそんな感じで、ほのぼの系統で楽しめるレアな良作。
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