くるくるばたばた

主に東方SSの解説や感想と、稀に漫画とかラノベとかその他。

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東方同人誌感想「第三の眼」「静止する風の少女」
・「第三の眼」(サークル:La Mort Rouge 作者:ローゼス・ヴォイド氏 編者:仮面の男氏)
 素晴らしい作品であったことは前提とした上で、ちょっとありえないほどに相性が悪すぎた、あるいは良すぎたため、私個人としては合わず、そしてそのため物足りなくもあった。
 なぜ合わなかったか、端的に言うと……すごく大雑把な領域での話だけど、物語の主であろうさとりとこいしに関する諸々の解釈が、あくまで大雑把な領域でだけど、ほとんどが以前考えたことのあるものだったから。「さとりとこいし」に関する『予想外』がほぼ無かったからというかんじ。
 過程の部分はもちろん面白かったし、「さとりとこいし」以外のキャラや舞台、諸々の設定等々は、やっぱり仮面さんであるし細かく丁寧になんかたぶんいろいろ知識とかも以て描かれてて、頭の中に読み込むだけで面白い系のパワーがあった。だが主の部分に驚きがないのはやっぱり物足りなかった。
 モロネタバレになりますが、『予想外』の無さというのが具体的にどのくらいかというと、プロローグを読んだ段階で、(1)過去のさとりとこいしが一章で描写されたような存在であること (2)さとりがこいしの眼を気にかける動機部分、すなわち、こいし自身(←が存在するなら)のことよりも、一たる覚妖怪に戻るあるいは再び近づくための手段としてこいしの存在を捉え、第三の眼が再び開けば良い(あるいはこいしにとってもそのほうが良い)と考えているであろうこと、(3)こいしがどのような存在であるかは、『無意識』とかいうのをどのように描くのかがまだ見えていなかったのでさすがにわからない、(4)さとりとこいしの統合あるいは完全なる分化、またはそれ以外……この三つのうちどれかが最終的にあるいは物語の過程に解答としてぶつかってくるであろうこと、「この話は物語にされる必要がある。何故ならば人間に読まれなければならないからだ。」からして『それ以外』の可能性がやや高いか(余談だけど『それ以外』にもいちおう中身はあって、その一つは後書きに記されていたボツ案に発想としては近いものだった)、といったかんじの予想を立てました。日本語が変な箇所ありそうだが気にするな。
 仮面さんの思索が浅かったとかそういう系のことを言う気はまったく無く、むしろ私が想像と適当理屈とノリでくっつけてたところをたぶんがっちり固めた知識とかで(←私自身に知識がないから「たぶん」が付く)並べていて実際説得力とワザマエを感じていたんだ。
 話を変えて、以前垂れ流した、仮面さんの特徴、について。これはあくまで私が勝手に感じているものと前置きつつ。
 端的に結論だけ言うとたぶん悪く聞こえてしまうのですが……「キャラクターの根っこの部分がなんとなく同じに見える」、言い換えるなら「キャラクターが一人の頭の中から出てきてるという感触が強い気がする」といったようなことを私は仮面さんの作品に感じてる部分があります。ほんとになんとなくなんだけどね。
 なぜ自分はこう感じるんだろうと考えてみると、たぶん、仮面さんが書け過ぎてるんじゃないかなとなんとなく思ったり。分量的に多いというのもあるけど、キャラクターをがっちり丁寧に細かく書いてるからこそ、その奥にあるものがちらりと見えてしまうようなというノリ。キャラの描き分けができてないとかいうのとは、なんか似て非なるものだと思う。うまくいえないんだけど。
 なんというかあれだ、薄暗い洞窟で、目の前に八匹の竜がいるんだよ。普通そいつらは頭だけで、なんか輪郭ぼやけたりもしてて、うにょんうにょん単体攻撃やらコンビネーションやらしかけてくるんだけど、なんかよく見たらこいつら同じ竜じゃね? とかいうのがわかったりもするんだ。
 仮面さんのは、竜の輪郭もはっきりしてて、そいつらはちゃんと違う竜だったりもするんだけど、輪郭はっきりついでに首のほうまでちゃんとあって、その根元にファーッと目をやってみたらあれこれ一匹のヤマタノオロチじゃね? っていうのが見える感じというか。
 で、これ自体は決して悪くないというかそもそもしょうがないことのはずなんだ。むしろキャラをちゃんと書いてるからでもある。……うん、ある程度しょうがないはずなんだ。しょうがないっていうかそれでいいことでもあるはずで、否定すべきものではないようにも思うんだ。いちおう書き手的なことを齧ってる身としては。
 ただ、人間しか出てこない話ならともかく、それを意識することなく妖怪とかも書いてしまうと、妖怪やらなにやらも全部ひっくるめて「人間的」なものにしか見えないんじゃないだろうかとは思う。それで良いんだろうか?(ネタバレ:良い)
 書き手としてはそんなこと気にする必要ないんだ。読者の我侭はまた別なんだけど(読者様モード)。
 仮面さんのキャラは根っこが「人間的」に見える。普通はそんなん気にしないんだけど、仮面さんくらいに書ける人に対しては、個人的には、ほんとうにあくまで個人的にはなんだけど、そこに物足りなさを感じる。無茶振り乙。
 ああそうだ、個人的には、そこも第三の眼に物足りなさを感じた要因の一つなんだ。だってあのさとりとこいし、はっきりと「人間的」だったから。
 先に述べたプロローグ時点での予想の(3)で、『無意識』とかいうものをどのように扱うのかによってこいしのキャラは変わる的な意味を含ませたつもりだけど、私にはあのこいしは、ファーッと消える能力と姉の心を食べるという特殊性だけ持った、ごくごく普通の人間のような妹妖怪にしか思えなかった。
 さとりにも同様の物足りなさを感じていて、それは後に理由付けされた(あいつら才能ねーよ)ように思う、そしてそれで納得はできるんだけど、納得ができるのかと満足ができるのかはまったく別の問題で、つまり満足はできなかった。この物語がこうであるならばそれはそれでいいんだけど、個人的にはやっぱり才能ある覚妖怪のお話を見たかった。
 だってさとりとこいしが人間的である話なら(殊さとこいに関してなら非人間性を追及したものもちょくちょくあったと思うが)他に見てきたように思うし、いくら周囲のキャラや舞台の記述が強力なものであっても、中盤から後半の途中までは、さとりとこいしの話としては、彼らと似たようなものに見えてしまった。……たぶんこれは、先に述べた(1)や(2)に私が驚きを覚えなかったのが関係してると思う。ちょっと自惚れ入ってるかもだけど、おそらく(1)や(2)の段階でじゅうぶんに『斬新な古明地』であるのが多数派なんだ。
 ……改めて宣言するまでも無いと思うが、これは「第三の眼」のどこがどう良いとか悪いとかそういうのを語るのではなく、どうして私が合わなかったのかということをえんえんと説明するだけの文書になります。
 あー……ちょっと余談だけど、いつだったかのコンペチャットかな、「どうして古明地に普通に人間のように両親がいてそいつらから普通に人間のように産まれていると疑わないのか」「どうして古明地姉妹が実の姉妹であることを疑わないのか」的なことを言ったら、おおよそ反応は二つで、ざっくり言って「その発想は無かった」と「何言ってんだコイツ」だった気がする。かなりうろ覚えかつ適当なので細かいとこ違うかもしれんが。実際それが多数派なんだと思う。仮面さんの思索が浅いとかそういうことを言う意図はない、と先に述べたのはこれにも関係するんだけど。
 お互いに意図するところを共有していたかというとかなり疑わしいけど、「古明地って実の姉妹じゃなくね?」「やっぱそう思うよねー」的な感じで普通に話をした記憶があるのは、ロリババアクレェと化した某氏だけのような気がする。なつかしや。

>仮面さんの作品はまだ全部読んだわけじゃないけど、一つちょっとした特徴(それは良い物でも悪い物でもあるかも)がある気がしてて、しかし古明地を正面から書くなら(私が想像する限りは)その特徴というのを裏切っていかなきゃならないはずなので、そこで書いてくれるかどうか注目してるかも。

 というツイートを以前したはずで、たぶんこれの意図は、さとりとこいしを描くなら人間的なものにはできない、いやしないはず、といった予測(偏見?)が私の中にあったんだと思う。なんかもうちょっと複雑なあれこれがあった気もするが忘れた。
 基本的に内容に細かく言及する気はない(それをやるべく精読すると時間とエネルギー的にしんでしまいます)のだけど、一箇所ちょっと意識低い読み方でもわりと引っかかったところがあったのでそこの解釈堂々巡りんぐでも。
 気になったというのは、第一章から出てきてた、「二つの身体に一つの心」という言い回しというか概念というか……少なくとも第一章で描かれていたのは「二つの身体に二つの心」であると思うんだよね。心の交感の比喩として「一つの心」と言ってるんだろうと思ったんだけど、どうも後のさとりもこの言い回しをかなり強く使ってるようで、そこは素直に違和感があった。
 第一章で描かれていた可能性があるのは「二つの身体に二つの心」か、でなければ「一つの身体に一つの心」だったのだと思うけど、おそらくは前者であって……「二つの身体に一つの心」というのは、初期の何も知らない二人だったらばともかく、さとりが使うには、少々概念として矛盾を孕みすぎているような……あ、でもだからこそなのか? いや、でもそういう感じも正直あんましないような……?
 心とはなんなのかーとか、心とはどこに宿るのかーとか。一つの心が二箇所に同時に宿るというのがどうもイメージできない……それは、単に同じであるだけの二つの心か、物理的に隔たっているだけの一つの身体なのではないか? という方向に揺れたりする。
 一つの心が二つの身体を同時に支配した時点でそれは一つの身体と再定義されるのではないか? と私ならたぶん結論する……いやなんかこういう話じゃないような気もするんだけど。
 えーとなんだ。第一章は「二つの身体に一つの心」という概念に守られながら記述されたお話のように思うのだけど、実際普通に「二つの身体に二つの心」と見えるので、たとえばあれらが数十年経っても違い始めることなくわたしを維持してるところとかは、説得力不足と感じたりもしたかも。
 後にさとりが「二つの身体に一つの心」を抱き続けているのは、そのように視野が狭くなっているという解釈も可能だけど。ただこれはなんとなくそのようには見えないというか、「二つの身体に一つの心」は作品を通低して存在してる気がするんだけどここに関してはどこかできっちり否定されてて私に重大な読み飛ばしや理解不足がある可能性が普通にある気がするってくらいわりと曖昧な読み方をしてるかもしれない。
 ちょこちょこ理解できてなさそげなところあるからね……せめてメモでもとりながら読めばマシだったのだろうが、私にはその読み方は少々窮屈に感じられるのでガンガン読み飛ばしております。
 だいたい、そんな、かんじ、でした。ねむい。
 さとりとこいしの部分については物足りないところがあって、それについてつらつら書いてきたのですが、そこ以外のキャラとかは濃い味を感じながらもぐもぐできました。さとりとこいしも、予想外が無いという点を除いて、過程の部分だけでもかなりがっつり書き込まれていておなかがくちくなりました。メイン部分で合わない感じはしたけど、とても面白い、素晴らしい作品なのは間違いなかった……ありがとうございました。
 作中に存在する文言の中では「(それでも)わたしはここを離れることができない。わたし以外に水を汲めるものがいないからだ。」が一番好きでした。あれはすごかった。
 「誰かがやらなければならないことだからです。」との対応でじわっときた。





・「静止する風の少女」(サークル:La Mort Rouge 作者:仮面の男氏)
 静止する風の少女はですね、霊夢さんがかわいかったですよ(唐突に)
 あと、この「静止する風の少女」なるタイトルからオーラをきっちり感知できなかったあたり鈍いねぇとしか言いようが無く……いや実際読んでみるとわかるんだけどこのタイトルはかなり強いんですよね。あと霊夢さんはかわいい。と言うのも、これ私は「静止する/風の少女」と読んでたのだけど、それがいけない。「静止する風/の少女」なんだよね。この見方が出来ずに戦闘力を察知できなかった。霊夢さんはかわゆかった。
 核融号事件と似てるタイプな気がする、と言ってしまうと表面上そんな感じはしていてでもぜんぜん違っていて、しかしなんとなく似てる感じはするのだけどやっぱり違う。霊夢さんがかわいいのは同じ。数字が低い方を低層として1~10まで考えるなら、2,3,4,8,9,10あたりが違うかなーという感じ。しかしこの手の作品において霊夢さんがかわゆくなるのはある種の仕様なのではないかとも思える。キャラクターの描きっぷりのバランスとかそこらへんは一見違いに思えるけど些事であって、つまるところ静止する風の少女においてはそれは手段、核融号事件においては目的みたいな感じじゃないかなと思う。どちらにせよ「それ」があるとなるとたぶん霊夢さんはかわいい。
 1が似てるのではないかなと思えるところはあるんだけど、そこはあくまで手段、本筋がひたすらあやさななのでややそっちの面では薄いのかどうなのか……わりと頭使わずお話もしっかり認識せず霊夢さんがかわいい場面以外曖昧なままさらっと読むしかできない派だけど、これは七割がた私の怠慢であると同時に三割がた作品における問題のような気もするのだけど……第三の眼も三章四章はそうなんだけど、これ個々の場面を非常に読み返しにくいんだよね……私みたいに適当に読んでると、どこに何の情報があったかとか脳内で覚えつつ関連付けというのが全然できん。霊夢さんシーンくらいだ。それに伴って因果関係が把握しにくいというか。読んでる途中に「100ページくらい前には何が起こってたっけ?」と訊かれたとしてたぶん二回に一回くらいはわからない。小説本というメディアからして、例えば漫画単行本とかと比べれば「個々の場面の読み返し」に向いてないのは明らかなんだけど仮面さんの場合、(1)章分けがでかい(しかし小説本としては普通) (2)途中にイラストを挟まない(特に悪いわけではない) (3)単純に長い(仕方ない) (4)しかし微妙に因果関係をきっちり把握してないとよくわからなくなる書き方をちょくちょくする(ぉ?) といったあたりの特徴により「なんかちょっとよくわかんないけどとりあえずあやさなは仲良くなってるしにとりともはたてとも仲良くなってるな! よし!」みたいな脳筋な読み方を私は選択する(良い子はちゃんと何がどうなってるか把握しながら読む)
 ただ、静止する風の少女は、解釈とかそっち系よりも単純に「カップリング話」な面が強いので、よくわかんないけどなんか仲良くなってる、というのが逆にある種の力を感じられて個人的には心地よかったりもして、ようするにこれは相性がよかったのかなぁとも。因果関係の把握にしにくさ、というよりは読み返しのしにくさについて、たとえば「少女と少女と少女の偽」ではまったくそんなの感じなくて、たぶんこれが関係あるのかなぁとは思う。http://t.co/gdYK7Tf1
 一つ一つの章が細かすぎる+章ごとにちょこちょこ視点入れ替えてる の相乗効果かなぁ。先の(1)と言ってることが矛盾してるようだけど、(1)で言ってる章は、たとえば章タイトルなど、明確にラベル付けされてるやつね。静止する風の少女は幕前幕後除いて、(1)における章の使い方だと三章構成。

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