ハヤテのごとく! 116話
進化したハムスターは果たしてレベルアップしたのか、それともダウンしたのか。
先週と先々週の凄まじい詰め込み具合は、今回の話に余裕を持たせるための工作でした。素直にもう一週使えばよかったんじゃないかと思わなくもないけど、十巻発売の直後に持ってくることで、「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」と合わせて見開きのインパクト強くしたかったのかも。あとは、十一巻をちょうどこの話で終わらせるといったあたりが目的かな。
しかし、こういう概念をこんなに早く持ってくるとは……予想外といえば予想外なのだけど、この話単体においてはあまり効力を発揮してないというか。いろいろな意味で、次回以降の期待を煽る話ではあるんだけど。
まあその辺は最後にまとめるとして、いつものようにあらすじ追いながら。
前回ラストから時間を飛ばして熱海駅到着、そしてハヤテは携帯返還。プリクラは意外とあっさり目にしか使われませんでした。ヒナギクがそれを見たりしたら面白かったのに。そのうちやらないだろうか。
ところで、ここ三話連続で一ページ目の枠外が黒いのは畑先生のマイブーム?
ナギたちと別れ、自転車で一人下田まで向かおうとする西沢さん。ハヤテならともかく西沢さんでは無理無理無理無理無理無理無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!! と拳を握るナギにより、ハヤテが西沢さんを配達決定。
ここで拳を握って汗をたらすナギは、借りは返しておくだとかそういうふうに考えると絡めとられそうになったので、簡単に考えることにする。
・ナギにとってハヤテは自分のもの(恋人)
・ナギにとって歩はライバル。ハヤテと二人きりにはさせたくない。
それにもかかわらずナギがハヤテを貸し出した理由は、たぶん言葉通り。歩のことを心配しているから。
歩のことを考えたら、ハヤテを貸し出すのがベスト。でも、ライバルにそんなことはしたくない。あの拳を握ってるコマが表してるのはその葛藤かと。ナギの中で歩の存在がかなり大きくなったから、そのくらい心配するようにもなったということで。ナギ自身は、助けられた借りを返すだけとか言いそうだけど。とても単純だけど、そんな感じでいいや。
しかしその次、
>それであなたたちがまた迷子にでもなったら…
の次のコマのナギとマリアの沈黙。こっちは言葉にしにくいなあ。
迷子になると言われてることへの反抗、ではないでしょう、やっぱり。いくらなんでも流れがおかしすぎる。
おそらくこれは、ハヤテと二人きりになるという絶好の餌をぶら下げられているというのにもかかわらず、ナギとマリアのことを心配する、そんな西沢さんへの一種のうしろめたさのようなものじゃないかなと。執事という形でハヤテを傍においている、考えようによっては西沢さんから奪ったとも言えなくもない人たちからするね。
実際ハヤテは借金まみれだったのでそんなふうに思う言われは無いんだけど、ナギとマリアさんからしたらそんなことも感じるのかなと。特にナギにとっては、西沢さんはライバルである前に友達になりましたから。
まあそれより簡単に、西沢さんがなかなか了承しなくて困るナギと、ナギの微妙な心情を知って困り気味なマリアさんという見方も出来る気がするけど、上のほうが楽しいのでそっちでいきます。
で、まとまらない状況をまとめたのはまとめ屋のヒナさん。まだ自身の気持ちに結論を出していなかったようで、結局西沢さんを応援してしまいます。下田到着後にこの件についてヒナギクに無邪気に礼を言う西沢さん、そこに「ねえ、歩……」とヒナギクが告白する展開になるんだぜ!?
信じまくっている西沢さんと負い目を感じまくっているヒナギクの対比がいいんだよあゆヒナあゆヒナ〜……って、なんか似たようなこと昔書いた気がするな。
列車に乗り込もうとして切符を買ってないナギとマリアさんですが、このコマのマリアさんの表情を見ると、ナギが歩にハヤテを預けたこととかその際のやり取りとかからナギの心境の変化を掴んでいて、どちらかというとそれを良いものとして認めてるのかなーとか想像しちゃいますね。
ハヤテと歩が喧嘩売られるシーンは吹っ飛ばしてヒナギクが一人何かを思う列車内、二人が肩を寄せて眠っていることについてはいくつか考えることがある気がするけど、面倒なので省略。
そして、歩ルートの話・第一部はクライマックスへ。
一一四話の感想で私は、ハヤテのごとく!というお話が無かった場合の二人の物語も見てみたかったかもしれないと書きましたが、ここで描かれてるのがその一つの結末ですね。桂ヒナギクが主人公だった場合の結末が九十八話だったのに対して、西沢さんとハヤテの二人が主人公だった場合の結末が今回の話です。
そう、結末です。過程の無い、結末だけ。
……ここからちょっと毒入るかもしれません。
とりあえず以降の文章では、「積み重ね」という事柄は、作中内のキャラが積み重ねてきたことよりも、読者に提示された描写の積み重ねというニュアンスだとしておきます。
例えば「ヒナギクの積み重ね」とか言い出したら、それはつまり「今までの連載で重ねてきたヒナギクの描写」といった感じになります。決して「読者には提示されていない事柄も含むヒナギクの過去」とかではありません。
要するにあくまで読者本位で書くってこと(なんて偉そうな)。
やっぱり今週の話って、九十八話の「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」を意識せずにはいられない話ですよね。見開きもそうだけど「今まで気づかなかった大切なものはすぐそこにあった」とかいう感じの概念とか。
でもどうしてか、この話を読んだ時、九十八話より明らかに感じるものが少なかったんです。
結局は、過程が無いという違和感なんです。九十八話では上手に誤魔化してたけど、この話ではそれが強く現れてる。
今回の話を読んで、うしおととらを思い出した人も多いんじゃないでしょうか。「もう……喰ったさ」「ハラァ……いっぱいだ」の場面です。
読者を掴んで離さないこの台詞ですが、この台詞が力を持つのは、今までの積み重ねがあるから。単行本三十冊近くにも及ぶ時間を一緒に過ごしたうしおととら、そしてそれに付き合った読者という積み重ねがあるからこそ、この台詞は読者の心を掴む。このような概念を効果的に使うには、他の何よりも、長い時間が必要なんです。
九十八話の「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」でも、ヒナギクに関して言うなら、時間という点では圧倒的に積み重ねが足りなかったはずです。
>でも…今いる場所は…
>それほど悪くはないでしょ?
あ、そうだったの?
……とこの台詞だけなら言いたくなっちゃいます。ヒナギクが今いる場所はまだしも、今までいた場所はわからない。ヒナギクの今までの十年間、すなわちヒナギクの物語を、読者は知らない。今までの十年間、「今いる場所はそれほど悪くない」と気づいていない十年間を、読者は知らないのです。これも、ヒナギクの物語の結末だけを描いたものなんです。
結末は過程があってこそ。だから本来ならこの台詞も、宙ぶらりんなものでしかなかったはず。
でもこの話では、ハヤテがヒナギクと似た境遇だということを上手く使っています。
現実時間でおよそ二年間描かれてきたハヤテの物語(作中時間では三ヶ月だけど)。それに付き合ってきた読者は、ハヤテがこの台詞を言うということを、今までの積み重ねの結果として受け入れることができます。
だから、九十八話では、ハヤテと似た境遇のヒナギクにハヤテと同じ結論を出させるということで、ヒナギクの積み重ねにハヤテの積み重ねをも上乗せするという技術を使うことによって、ヒナギクの積み重ねの不足を補っているのです。
それでもまあ、「スキになると…いなくなってしまう気がする」というヒナギクの恐怖についてなどはそれまでに描写不足であった感がありましたが(これもたぶん九十八話に感じていた違和感の一つ)、いや、それを考えても九十八話のはお上手です。本当にお美事。お美事にござりまする。
では今週の話はどうだったかというと、そのような技術を使うことなく、真正面から来ちゃいました。さすが西沢さん。小賢しい技術など必要ない。当たって砕けろです。
……いや、無理ですよ実際。ハヤテと出会って作中内でおよそ一年、二人にはいろいろあったんだろうなーと妄想することはできますが、そのいろいろあった部分が実際に描写されてるかというとほとんど描写されてませんし。というか西沢さんなんて登場してからまだ現実で一年半ちょっと、登場回数だって二十回いったかいってないかくらいですよ。
でも、西沢さんとハヤテが読者の知らないところで一緒の時間を過ごしていたという事実はたしかにあります。それをもっと前面に押し出せば、この話の印象は違ったのかもしれません。
しかし今回の話では、演出上その事実を切り捨ててる。
>あれ? 私は何が欲しかったんだっけ?
この西沢さんの回想箇所に、既出の絵しか無い。作中内でのここ二ヶ月程度の出来事しかない。西沢さんがもらっていたのは、この二ヶ月だけのことなの?……という印象ですよ、正直。
今思えば、プリクラはそれを少しでもやわらげるためのものだったんだなあ……。
ここで例えば、ハヤテが執事になる前の、読者の知らない二人を描いたカットがいくつか挿入されるようなら、話はかなり変わっていたと思うんだけどなあ……。その場面をいつか連載の中で描かなくてはならないとか、そういう話じゃなくてもいい。ただ、読者の知らない時間はたしかにあったんだと強く示してくれたら。
……プリクラで満足できればよかったんでしょうけど、それでは足りないと感じてしまったために、そういう結論になってしまいました。
西沢さんの回想シーンで、既出ではない絵が出てきていたら。
些細なことではありますが、自分の中では、これが今回の話を神にするか薄い話にするかの分かれ道でした。
ところで明日か明後日は、今回の話から感じる期待について書いてみるです。
終わるってことはつまり始まるってことですし。
↑ちょっと脳内妄想が崩れたので、やっぱり書かないかもしれません。
先週と先々週の凄まじい詰め込み具合は、今回の話に余裕を持たせるための工作でした。素直にもう一週使えばよかったんじゃないかと思わなくもないけど、十巻発売の直後に持ってくることで、「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」と合わせて見開きのインパクト強くしたかったのかも。あとは、十一巻をちょうどこの話で終わらせるといったあたりが目的かな。
しかし、こういう概念をこんなに早く持ってくるとは……予想外といえば予想外なのだけど、この話単体においてはあまり効力を発揮してないというか。いろいろな意味で、次回以降の期待を煽る話ではあるんだけど。
まあその辺は最後にまとめるとして、いつものようにあらすじ追いながら。
前回ラストから時間を飛ばして熱海駅到着、そしてハヤテは携帯返還。プリクラは意外とあっさり目にしか使われませんでした。ヒナギクがそれを見たりしたら面白かったのに。そのうちやらないだろうか。
ところで、ここ三話連続で一ページ目の枠外が黒いのは畑先生のマイブーム?
ナギたちと別れ、自転車で一人下田まで向かおうとする西沢さん。ハヤテならともかく西沢さんでは無理無理無理無理無理無理無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァッ!! と拳を握るナギにより、ハヤテが西沢さんを配達決定。
ここで拳を握って汗をたらすナギは、借りは返しておくだとかそういうふうに考えると絡めとられそうになったので、簡単に考えることにする。
・ナギにとってハヤテは自分のもの(恋人)
・ナギにとって歩はライバル。ハヤテと二人きりにはさせたくない。
それにもかかわらずナギがハヤテを貸し出した理由は、たぶん言葉通り。歩のことを心配しているから。
歩のことを考えたら、ハヤテを貸し出すのがベスト。でも、ライバルにそんなことはしたくない。あの拳を握ってるコマが表してるのはその葛藤かと。ナギの中で歩の存在がかなり大きくなったから、そのくらい心配するようにもなったということで。ナギ自身は、助けられた借りを返すだけとか言いそうだけど。とても単純だけど、そんな感じでいいや。
しかしその次、
>それであなたたちがまた迷子にでもなったら…
の次のコマのナギとマリアの沈黙。こっちは言葉にしにくいなあ。
迷子になると言われてることへの反抗、ではないでしょう、やっぱり。いくらなんでも流れがおかしすぎる。
おそらくこれは、ハヤテと二人きりになるという絶好の餌をぶら下げられているというのにもかかわらず、ナギとマリアのことを心配する、そんな西沢さんへの一種のうしろめたさのようなものじゃないかなと。執事という形でハヤテを傍においている、考えようによっては西沢さんから奪ったとも言えなくもない人たちからするね。
実際ハヤテは借金まみれだったのでそんなふうに思う言われは無いんだけど、ナギとマリアさんからしたらそんなことも感じるのかなと。特にナギにとっては、西沢さんはライバルである前に友達になりましたから。
まあそれより簡単に、西沢さんがなかなか了承しなくて困るナギと、ナギの微妙な心情を知って困り気味なマリアさんという見方も出来る気がするけど、上のほうが楽しいのでそっちでいきます。
で、まとまらない状況をまとめたのはまとめ屋のヒナさん。まだ自身の気持ちに結論を出していなかったようで、結局西沢さんを応援してしまいます。下田到着後にこの件についてヒナギクに無邪気に礼を言う西沢さん、そこに「ねえ、歩……」とヒナギクが告白する展開になるんだぜ!?
信じまくっている西沢さんと負い目を感じまくっているヒナギクの対比がいいんだよあゆヒナあゆヒナ〜……って、なんか似たようなこと昔書いた気がするな。
列車に乗り込もうとして切符を買ってないナギとマリアさんですが、このコマのマリアさんの表情を見ると、ナギが歩にハヤテを預けたこととかその際のやり取りとかからナギの心境の変化を掴んでいて、どちらかというとそれを良いものとして認めてるのかなーとか想像しちゃいますね。
ハヤテと歩が喧嘩売られるシーンは吹っ飛ばしてヒナギクが一人何かを思う列車内、二人が肩を寄せて眠っていることについてはいくつか考えることがある気がするけど、面倒なので省略。
そして、歩ルートの話・第一部はクライマックスへ。
一一四話の感想で私は、ハヤテのごとく!というお話が無かった場合の二人の物語も見てみたかったかもしれないと書きましたが、ここで描かれてるのがその一つの結末ですね。桂ヒナギクが主人公だった場合の結末が九十八話だったのに対して、西沢さんとハヤテの二人が主人公だった場合の結末が今回の話です。
そう、結末です。過程の無い、結末だけ。
……ここからちょっと毒入るかもしれません。
とりあえず以降の文章では、「積み重ね」という事柄は、作中内のキャラが積み重ねてきたことよりも、読者に提示された描写の積み重ねというニュアンスだとしておきます。
例えば「ヒナギクの積み重ね」とか言い出したら、それはつまり「今までの連載で重ねてきたヒナギクの描写」といった感じになります。決して「読者には提示されていない事柄も含むヒナギクの過去」とかではありません。
要するにあくまで読者本位で書くってこと(なんて偉そうな)。
やっぱり今週の話って、九十八話の「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」を意識せずにはいられない話ですよね。見開きもそうだけど「今まで気づかなかった大切なものはすぐそこにあった」とかいう感じの概念とか。
でもどうしてか、この話を読んだ時、九十八話より明らかに感じるものが少なかったんです。
結局は、過程が無いという違和感なんです。九十八話では上手に誤魔化してたけど、この話ではそれが強く現れてる。
今回の話を読んで、うしおととらを思い出した人も多いんじゃないでしょうか。「もう……喰ったさ」「ハラァ……いっぱいだ」の場面です。
読者を掴んで離さないこの台詞ですが、この台詞が力を持つのは、今までの積み重ねがあるから。単行本三十冊近くにも及ぶ時間を一緒に過ごしたうしおととら、そしてそれに付き合った読者という積み重ねがあるからこそ、この台詞は読者の心を掴む。このような概念を効果的に使うには、他の何よりも、長い時間が必要なんです。
九十八話の「THE HEADY FEELING OF FREEDOM」でも、ヒナギクに関して言うなら、時間という点では圧倒的に積み重ねが足りなかったはずです。
>でも…今いる場所は…
>それほど悪くはないでしょ?
あ、そうだったの?
……とこの台詞だけなら言いたくなっちゃいます。ヒナギクが今いる場所はまだしも、今までいた場所はわからない。ヒナギクの今までの十年間、すなわちヒナギクの物語を、読者は知らない。今までの十年間、「今いる場所はそれほど悪くない」と気づいていない十年間を、読者は知らないのです。これも、ヒナギクの物語の結末だけを描いたものなんです。
結末は過程があってこそ。だから本来ならこの台詞も、宙ぶらりんなものでしかなかったはず。
でもこの話では、ハヤテがヒナギクと似た境遇だということを上手く使っています。
現実時間でおよそ二年間描かれてきたハヤテの物語(作中時間では三ヶ月だけど)。それに付き合ってきた読者は、ハヤテがこの台詞を言うということを、今までの積み重ねの結果として受け入れることができます。
だから、九十八話では、ハヤテと似た境遇のヒナギクにハヤテと同じ結論を出させるということで、ヒナギクの積み重ねにハヤテの積み重ねをも上乗せするという技術を使うことによって、ヒナギクの積み重ねの不足を補っているのです。
それでもまあ、「スキになると…いなくなってしまう気がする」というヒナギクの恐怖についてなどはそれまでに描写不足であった感がありましたが(これもたぶん九十八話に感じていた違和感の一つ)、いや、それを考えても九十八話のはお上手です。本当にお美事。お美事にござりまする。
では今週の話はどうだったかというと、そのような技術を使うことなく、真正面から来ちゃいました。さすが西沢さん。小賢しい技術など必要ない。当たって砕けろです。
……いや、無理ですよ実際。ハヤテと出会って作中内でおよそ一年、二人にはいろいろあったんだろうなーと妄想することはできますが、そのいろいろあった部分が実際に描写されてるかというとほとんど描写されてませんし。というか西沢さんなんて登場してからまだ現実で一年半ちょっと、登場回数だって二十回いったかいってないかくらいですよ。
でも、西沢さんとハヤテが読者の知らないところで一緒の時間を過ごしていたという事実はたしかにあります。それをもっと前面に押し出せば、この話の印象は違ったのかもしれません。
しかし今回の話では、演出上その事実を切り捨ててる。
>あれ? 私は何が欲しかったんだっけ?
この西沢さんの回想箇所に、既出の絵しか無い。作中内でのここ二ヶ月程度の出来事しかない。西沢さんがもらっていたのは、この二ヶ月だけのことなの?……という印象ですよ、正直。
今思えば、プリクラはそれを少しでもやわらげるためのものだったんだなあ……。
ここで例えば、ハヤテが執事になる前の、読者の知らない二人を描いたカットがいくつか挿入されるようなら、話はかなり変わっていたと思うんだけどなあ……。その場面をいつか連載の中で描かなくてはならないとか、そういう話じゃなくてもいい。ただ、読者の知らない時間はたしかにあったんだと強く示してくれたら。
……プリクラで満足できればよかったんでしょうけど、それでは足りないと感じてしまったために、そういう結論になってしまいました。
西沢さんの回想シーンで、既出ではない絵が出てきていたら。
些細なことではありますが、自分の中では、これが今回の話を神にするか薄い話にするかの分かれ道でした。
終わるってことはつまり始まるってことですし。
↑ちょっと脳内妄想が崩れたので、やっぱり書かないかもしれません。


この二ヶ月のことしかなかったっていうのは、たぶん西沢さんがもらったっていうのは、初めて会った時からこれまでにハヤテからもらったことっていうよりは、純粋に今回の二人乗りなんではないかと。
これまでの西沢さんの発言をピックアップしていくと、
>「ようやく今年初めて綾崎君の顔が見れて、本当に…嬉しいよ」
「このまま…お別れなんて嫌です」 初登場時
「せめてもう一度会って話がしたいのに…」 五巻二話
「せめてもう一度想いを伝えるくらいは…」 七巻三話
初めて会った時のこと…覚えてくれたんだ… 九巻二話
「そっか…嫌われてるわけじゃないのか…よかった」 九巻三話
そして、それぞれのシチュエーションは、ハヤテが学校去ると知りワタワタ(初登場時)、ワタルのビデオ屋でポツリ(五巻)、バレンタインでチョコ渡す前の独白(七巻)、ヒナギクへのプレゼント買いに付き合った時の独り言(九巻)となるわけで。
この間、二人きりになるシチュエーションはあったものの(コナンサンタは微妙なところですが)、ハヤテが自分の方を向いてるって実感は西沢さんにはなかったんじゃないかと。
今回の西沢さんにとっては、自分の前からいなくなるかもしれなかったハヤテが自分のこと(ホワイトデーのプレゼント)を考えてる時点で、そしてそばにいる時点で、西沢さん的には満足だったんじゃないかな?
ただ、そう考えるとプリクラの意義が少し薄くなるのですが(´・ω・`)