くるくるばたばた
漫画とかラノベとかその他について適当に書くブログ。SS書きたいと思ったりもしてる。いまは主に東方とか。
今回の話はどちらかというと面白げな話であるのは確かだし、実際各所の評判はかなり良いからそうなんだろうけど、どこか自分はずれちゃってるみたい。
そして最も気持ち悪いのが、どこがどうずれてるのかよくわからないこと。何なんだろうこの感覚。いつにも増して迷走中。
というわけでネタが無いので脳内垂れ流し迷走記事。書いてみれば問題がわかることがあるかもしれないし無いかもしれない。
十巻の感想書いてないことにはこの記事書いてから気づいた。
結局のところ、自分の見方がこの漫画に合ってなかったということなのかな。大きすぎたり小さすぎたりして、この漫画のサイズに合ってなかったという。
・九十八話との対比?
今回の話の解釈としては、おそらく昨日の記事のコメントで美尾さんが示してくれたものが正しい。昨日私が書いたのはたぶん途中からあさっての方向に逝っちゃってた。
そしてそうすると、九十八話と今週の話を対比すること自体が間違ってるのかな。歩とヒナギク自体がなんとなく対照的だし、どっちの話も見開きがあったりして、これが十巻発売直後の話だからついそうしちゃいそうになるけど。そもそも何を対比するんだろう? 何かに気づいた、という概念?
九十八話はたしかに、ヒナギクだけの物語の終わりだった。そして同時に、ハヤテのごとく!内でのヒナギクの物語の始まりだった。
たぶん、一一六話はそうじゃない。西沢さんとハヤテだけの物語とは全然違うところにある。あくまでハヤテのごとく!という話の一要素。プリクラによって二人だけの話を想起させつつ、実は全然違うところに落としている。
ハヤテのごとく!以前の物語について、九十八話はある程度決着をつけていた。だから私は、今回の話もそうなんだと思い込んだ。それがミスの一つか。
・プリクラ。
プリクラは、読者に西沢さんとハヤテだけの物語を思わせる道具。だと思ってた。
そうなんですよね。ここ数週はプリクラによって二人だけの話を意識させてたんです。今週の話も、それに乗ってるんだと思ってた。
プリクラの過去描写から西沢さんがハヤテに求めていたものを読み取れるようになっているのかもしれないとも考えたけど、そんなことをすると、昨日私が書いたのと結果が同じになっちゃうのでたぶんそれは無い。
今回の話は、すべて作中内ここ二ヶ月の中の話。問題提起からその解決に至るまでがすべてその期間。そうでなければならないはず。そうでなかった場合はとても残念だというのが、つまり昨日書いた感想記事です。
ここ二ヶ月で西沢さんがハヤテに求めていたものが、もしもプリクラの過去回想でも観測できるのであれば、ハヤテが執事になる前の二人の話について何も触れてないのが、やっぱり違和感になってしまうから。
今回の話は、あくまでここ二ヶ月の範囲におさまりきらなければならない。
というわけでプリクラを出してきた意味がさっぱりわからなくなってる木曜の午後。
・好みの問題かなあ。(これも魔法の言葉……)
抽象的な表現になりますが、最初私は今回の話を、とても大きいものを描こうとしたけれど少々ミスって中身が薄くなってしまったのだと解釈したんです。外形は大きいけれど、中身はやや小さいといった感じ。
それがどうやら、今回の話は最初から小さなものを描こうとしていたらしい。
率直に言うと、「このような小さな話が見開きを使うほどのネタなのだろうか?」という疑問が違和感に直結してる気がするのです。
大きいものを描こうとしていたというなら、わかるんです。西沢さんとハヤテだけの物語を内包する概念なら、この漫画でめったに使われない見開きが来ても不思議ではない、むしろ当然に思えます。
当然のように見開きという大きな外枠を用意し、中身もそれにふさわしいものだったのだけど、ちょっと描写不足で中身が縮んでしまった。それが私が今回の話に当初持った印象。
でも、今回の話は元々、作中内で二ヶ月間という短い時間における、小さな話であるようです。
上の例えで言うなら、そもそも中身はそれほど大きくはないのに、わざわざ見開きという大きな外枠でそれを囲っているといった印象。……なんか、この例えが自分の感想と感じている違和感を端的に示しているような気がします。
正直、西沢さんのこの結論なら見開き使わないで地味にやってくれたほうが後でじわじわきた気がするという個人的感想。まあ、好みの問題です。人それぞれです。
書いてみたらすっきりしたのでこれで終わり。

