くるくるばたばた

ハヤテのごとく!をメインに、漫画ラノベその他について書くブログ。

今週の絶チルはちょっと驚いた。

 ハヤテのアニメでヒナギクがテラス歩いてたことについては別に納得したわけじゃないけど(反論してくださったというか意見をくださった皆さんごめんなさい)web拍手レス4/25の内容でひとまずおいておきたい。そのうちアニメでこのような流れにした理由が描写されると信じつつ。

 というかあのシーンに不満述べてるの私だけな気がしてきたんですよ。アニメ系ブログさんあさってないからなんとも言えないっちゃなんとも言えないのだけど……でもちょっとあさった印象としては、あのシーンに触れてるところすらかなりの少数派。こういう場合は往々にして自分が間違ってるってひぐらしに教えられました。

 で、この下は絶チルの話。今回のはちょっと驚いたので、記念すべきかどうかは知らないけど書いてみたくなった。


 冒頭部分を見てですが。ほへーって感じ。絶チルに関してはハヤテ以上に素人なので、変なことを書いてるかもしれないと前置きながら。

 何に驚いたかというと未来描写で、あれ、予知を介してないじゃないですかーと。
 今までの未来の話は予知とかのような作中キャラの能力を通して描写されたもので、いわば「一人称による描写の未来」といった印象。しかも予知は変更可能だということまで示されてるから、今まで描かれていた未来は、必ずしもたどりつく必要は無かった。
 だからそれを回避していくものなのかなと思いきや、今回の未来描写は話が違って、「三人称の描写による未来」といった感じ。予知を介してではなく漫画内の事実として、二〇二〇年のことを描いている。今回の冒頭の出来事は、漫画というか物語的に、もう変更することはできないはずなんです。そういうことをするのかーとちょっと意外でした。

 でもどうなんだろう。今までは現在という一点からの枝分かれの話に思えていたけど、そこにあえてさらなる点を穿つことで、線の行方をわかりやすくしようというのかな。……例えば、

    ・←バッドエンド
    ┃
    ┃
    ・←二〇二〇年
    ┃
    ┃
    ┃
    ・←現在

 本来ならこういう話の流れなのを、

         ・←グッドエンド
       /
     /
    ・←二〇二〇年
  /

  \
    ・←現在

 こういうベクトルの話にしたいとかそういうことかな?
 現在と二〇二〇年の点の位置は変わってないけど、そこに至るまでの過程が持ったベクトルの違いで、線の行方を変えようといった感じ? 考えてみると、枝分かれよりもこっちの方が好きなような気がする。
 ただ問題というか、これはそれぞれの物語の過程と結末について知り尽くした神の視点からでないと真に楽しめないような気がするというのがなんとなく。それこそあれだ、ひぐらし的な。これをどう処理するのか。
 この漫画はどうやって話を収束させるのか、そして物語を描いていくのか。実はかなり期待してるというか抱える問題への解答についての期待とかは、ある意味ハヤテに向けているそれよりも大きいかもしれないくらいだったりもして。

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