くるくるばたばた

ハヤテのごとく!をメインに、漫画ラノベその他について書くブログ。

IFを考えることによる原作の再認識

 いぬかみっ!の十四巻感想の一環でもある。だから少しネタバレも含む。いぬかみっ!を読んでない人にもわかるようにがんばる。
 IFを考えるとは、原作で起こった事実とは違う展開を考えること(注:だから、すべての二次創作がここでいうIFに当てはまる、というわけではない)と定義。その上で。
 結論としては、IFを考えるなんてのは、自己満足にしかならない無意味な妄想ということが多い。だけど、その物語を読む上で何かしらの意味を持つことも気まぐれにある、そんな楽しい作業ってところでしょうか。


 少し前に触れた総力戦という事柄にも関連しますが、この最終巻の主な流れは、桁外れの力を持つ三神の与える試練(戦闘含)を、この「いぬかみっ!」という物語に今までに登場した主人公側のおよそすべての力を持って乗り越えるというものです。

 ですが、そのおよそすべての中にも、いくつか失敗があると私は感じました。
 なでしこが先走って一人試練を受け、失敗し、命を取られることになった。それを助けるため、主人公側は結果として条件を悪くしてしまったこと。そしてもう一つ、大妖孤、赤道斎、他一名が前巻で封印されてしまったことにより、主人公側の最高戦力が終盤まで使用不可能だったこと。
 なでしこが先走って失敗しなければ、ようこと長老が担保に取られて主人公側の戦力を減じることも無く、宗家が啓太たちとは別の願いをする必要もないため戦力が分散されることも無かったのではないか。大妖孤たちが封印されていなければ、もっと楽にというわけにはいかなくとも、良い条件で試練を受けることができたのではないだろうか、とか。

 すべての力で、万全の状態でというシチュエーションこそ総力戦に相応しいとかそんな意識を持ってるので、最初はなんとなくこれらのことにそわそわしました。
 でも、自分の考えはちょっとずれてるんじゃないかと思い始めたので、少しそれも書こうかと。

 まずは、大妖孤や赤道斎あたりが封印されたことについて。
 最初に考えたのは、この二人が封印されるイベントが存在しなければ良かったのにということ。すなわち十三巻第一章の展開が無ければよかったんじゃないかと。
 いや、でもしかし、あの話によって大妖孤と赤道斎はそれなりにいい関係を築けたわけだから、そのイベント自体が無かったとしたら、十四巻における二人の信頼関係は、そのイベントが存在した場合よりも薄い。もしかしたらそれにより、不都合が発生するかもしれない。

 そうなるとあれだ、あのイベント自体は存在したけど封印されちゃうようなことがなければ良かったんだ……と思ったのはいいのですが、同時に次のようなことも思いました。
 だったらそもそも、八巻でなでしこが失敗して薫が消えちゃうって話にならなければ良かったのでは?(神の試練を受けるのは、消えた薫を復活させるため)

 ……うん、かなり怪しくなってきました。というか私はこの時点で、なるほどこれについて考えるのは無意味だったんだと投げ出しました。もしも、もしもを重ねていけばそれは限りなく誰かにとって都合のいい世界に近づいていくのだけど、それを考えることに意味はあるのだろうかと。
 なんだかずれている。私はこんなことを考えたいんじゃなかった。でも少なくとも、この方向で考えていっても、どこにもたどりつかない。なんだかひぐらしの賽殺し風味。

 ここまでが、最初に示した結論の前半部分。少なくとも、上の例のような形でIFを考えるのはとても無意味な気がする。
 で、これからが後半部分。なでしこが試練に失敗し、条件を厳しくしたことについて。

 これについても上の例と同じように、なでしこが試練を失敗しなかった場合について考えるのは無意味……とも限らないのです。
 なぜなら、もしもなでしこの失敗が無ければ、あの人が試練の本質に気づけなかった可能性があると考えられるから。要するに、その失敗が、実は成功への糸口になっていた可能性があるということが、読者にはわかるから。
 物語世界の現実においては(作中のキャラの視点からしたら)、それは最良の方法ではなかったのかもしれない。けれど、全体を俯瞰する神の視点からは、それが実はたった一つの道筋であったことがわかってしまうんです。原作の道筋の再認識、ですよ。
 なんとなくそれを発見するのはとても気分がいいのです。一見無駄に思えたものが、実は無駄なんかじゃなかった……というようなシチュエーションを自分が好きなのもあるかもしれません。


 これについてもう一つ例を出すなら、私にはまずダイの大冒険が思い浮かびます。というかたぶんこちらの方がわかりやすいです。
 最終決戦の際ですが。ゴメちゃんは消える時、最後に一つだけダイの願いを叶えると言いました。それを受けてダイは、爆弾がもうすぐ爆発する、それが一つでも爆発すれば地上は滅亡する、その爆弾を氷系呪文で凍らせなければならない……など、自分達の知る状況を世界中の全ての人間に伝達するということを願いました。自分達は大魔王の相手をしていて止められない爆弾、それを誰かが止めてくれることを信じて。

 だけどこれ、そんなまどろっこしいことしないで、ゴメちゃんに爆弾を止めてもらえばよかったんじゃないかと私は思いました。ゴメちゃんにはそこまで大きな願いは叶えられないという制約はあるけど、氷系呪文一発くらいはできるだろう、とか。
 普通に考えてそうするじゃないですか。世界中の人に知らせたからといって、爆弾が止まるとは限らない。でもこれなら、爆弾は確実に止まる。実際自分がそんな状況になったら、絶対こっちを選びますよ。
 でもダイはそうしなかった。それが原作の不備に思えてしまって。最終的に爆弾は止まって盛り上がってるけど、なんだかなーって。

 でも、考えてみると、それではだめだったんですよ。
 爆弾の隣には、それを守護する役割を持った魔物がいました。何故なら、爆弾の所在地は極寒の地。爆弾が吹雪で凍りつかないように、熱気を発する魔物が配置されていました。
 しかも彼は、爆弾と一緒に心中する覚悟あり。つまり、ゴメちゃんの願いで爆弾を凍らせるという選択肢は、最良の選択肢であるように見せてバッドエンディング直行の選択肢だった。
 そして同時に、世界の人々の協力に賭けるという、一見考えなしで甘ちゃんな選択肢が、実はあの場をなんとかできるたった一つの方法だった。
 そのことが、読者にはわかっちゃうんです。

 IFを考えることで、原作の道筋の尊さを再認識できることがある。これが、結論の後半部分。
 たまにでもこういうことを見つけられるのなら、「もしも」について考えることは、その原作の物語を読む上でもそこそこ意義があるような気がしないでもないのでした。

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