くるくるばたばた
漫画とかラノベとかその他について適当に書くブログ。SS書きたいと思ったりもしてる。いまは主に東方とか。
こちらの記事を見ながらどうでもいいことを考えてみたぜ、というお話。いや、でもこう言ってしまうとまるでリンク先の記事がどうでもいいような見方をされてしまいかねない気がするなあ。そんなことはないのですよ。どうでもいいのは私の考えたことであって、つまりこんなグダグダな入り方をするお話ということです。多分に感覚的な、すなわちわかりにくいであろうお話。
考えの過程よりも結果だけを書いたほうが文章の長さが十分の一くらいだと思うのでそうしてみます。
※追記。
なんだかんだで考えの過程も中途半端に書いてるので、変な記事になってます。でもそんなの知らない。
○『キャラの意図』
「キャラの行動」は『作者の意図』の範囲と捉えるのに違和感がある。だって、基本的に「行動」は「キャラ(≒キャラの内面)」が先にあるものだから。本来は、作者はその意図によってキャラを行動させるものではないと思う。ただ、この漫画は帰納的に描いている部分もあるので、たまにその限りではない。それが露骨だったのは、十四巻四話や十四巻五話。
例を探すのが面倒なので無理矢理に言ってしまうと、
『西沢さんに対しては「Happy」を付けるがヒナギクには付けないという距離感を持っている』というハヤテのキャラ。それが先にあってハヤテはプレゼントに差をつけていると思えるので、あれが『作者の意図』によるものだと考えるのには違和感がある(この時点での異論は認める、むしろ当然かも。とりあえず読み進めて)。
これを『作者の意図』とは異なるものとして、暫定的に『キャラの意図』(日本語の意味合い無視)と呼びたい気分。なぜなら、そんなふうにして考えてたから。
西沢さんとヒナギクで、ハヤテは感じている距離感が違うのだから、そこに差があるのは当たり前だよ、というお話。
○『作者の意図』
しかし、このプレゼント二つに『作者の意図』が介在していないかというと、それはまた違う気がする。
何故なら、プレゼントに差がついていること自体は『キャラの意図』によるものであるけれど、プレゼントに差がついていることを描写しているのは、『作者の意図』だから。
四巻第四話、子供を見捨てる親に対してヒナギクが過剰反応しているシーンを例に取りましょう。
ヒナギクが過剰反応していること自体に、作者の意図はありません。何故ならこれは、ヒナギクというキャラクターにしたら当たり前の反応だからです。キャラクターの内面を考えると、当たり前なんです。これを『キャラの意図』と考えます。日本語は無視ですよ。
しかし、これは言うまでもなく伏線。作者さんは意図を持って、このお話を作っています。
ではその意図はどこにあるのかというと、このお話を持ってきたこと自体に現れています。
ここでヒナギクの伏線を披露しようという意図が、ハヤテとヒナギクの出会いの際のイベントとして、
『ハヤテが白皇学園に向かう途中に「わ〜、遅刻遅刻」と食パンを加えるヒナギクと曲がり角で激突』
というものではなく、
『スズメの子供が親に見捨てられ、いろいろあってハヤテがヒナギクのノーコンを詰る』
というお話を、物語に、選ばせているのです。
一二七話に関しては、ハヤテの二人に対する距離感の違いとしてプレゼントの差を描写したのは、畑先生の意図。
けれど、「二人に対する距離感の違いとしてのプレゼントの差」そのものがあるのは、ハヤテの内面ゆえ。
……あれ、おかしいな、ごっちゃになってきた。
いや、いいのか。元々この記事に関しては、tanabeebanatさんの説を否定する目的の記事ではないし。ただ、『作者の意図』についての考えを披露させてもらいたかっただけで。そして別の説の提示、それをやるのはたぶん明日あたり、記事タイトルは「対等な出会いのおはなし」で……と思いきや、既に書いてる人がいました。
・「意図的にそうした部分」 についてちょっとだけ深読みしてみました。
わーい、仲間がいた。
何を感じるかということはちょっと違ったけど、「意図的にそうしたところ」に関しては、私はこれです。あ、後出しじゃないよ!
どの辺がそれっぽいというと、プレゼントの差よりも、『作者の意図』の純度が高いあたりが。これも感覚的な話です。ただプレゼントの差も、来年のホワイトデーあたりに意味を持ってくるのかも、とは思ってますが。
○まとめ
お話が紡がれ始めると、キャラクターの行動は、本来そのキャラクターにしか決められません。
だから、作者の意図が介入するべきは、その前提部分や背景に限るべきだと思うのです。本来は。
キャラクターの内面には干渉しないと言い換えても良いか……むしろこっちの方が的確な気がするので、こっちを太字。
加えて。これは漫画であるので、『どのように描くか』にも作者の意図を紛れ込ませる余地がありますね。
今週の一六四話で言うならば、「その時、私は…どんな答えを期待していたのだろう」のヒナギクとか、読者に一五七話の西沢さんを意識させようと描いているように見えます。
ヒナギクを別のアングルで描いても良かったし、ハヤテを描いても良かったし、二人を遠くから描いても良かったし、背景(線路とか空とか)を描いても良かったし、もしかしたら、コマ全体ベタで塗っちゃって「その時、私は…どんな答えを期待していたのだろう」とだけやることもできたかもしれない(漫画の表現的にどれが効果的なのかとかは、今は話が違うので考えません)。
どれを選んだところで、二人の行動は、二人が紡いでいるお話そのものは変わりません。でも、読者の受け取り方は変わりえます。だからここ、『どのように描くか』にも、作者は何らかの意図を潜ませることができるはずなのです。
疲れたので終わり。
続きはこちら↓
・対等な出会いのおはなし

