『姉』と『妹』(桂ヒナギクトゥルーエンド論その3)
・桂ヒナギクが綾崎ハヤテに惹かれた理由(桂ヒナギクトゥルーエンド論その1)
・無力な自分と、どうにかしてくれる誰か(桂ヒナギクトゥルーエンド論その2)
あらすじ。
ヒナギクがハヤテを好きになった理由は、ハヤテとの関係において、両親がいなくなった頃の姉との関係性が再現されている──それは、ヒナギクにとってのヒーローとして、ハヤテと雪路が似ていることにも起因する──ことにある。
また、ヒナギクは、かつての姉の姿に憧れを抱いていて、それを目標とするかたちの理想すらも持っていると考えられる。
今まで言ってきたのってたったこれだけ。
こんなふうにまとめてみると、そろそろ私が何を言おうとしてるのかわかってもらえそうかも。
要するに、関係性の再現とヒナギクの理想は、並立し得ないんですよ。
○並び立たないもの
イメージ的な話をするならば。
ヒナギクの理想が、姉(ハヤテ)の姿を志向しているのに対し、ハヤテへの恋、すなわち、過去の姉との関係性の再現は、妹としての立場に再び収まるというような性質を持っているのです。「姉の側」と「妹の側」とでも言いましょうか。
これは、ヒナギクの心情的に(彼女がこのことを自覚したならば)相反してしまう事柄だと思うのですよ。
そして、自分の立ち位置を見極めようとした時、歩のこと(場合によってはナギも)を考えると、ヒナギク一人だけの結論は、妹としてある場所を拒絶し、相変わらず理想を追い続けることへと向かっていくのではないかと思うのです。
というわけで、ヒナギク論終わり。
以下、膨大な余談となることが予想されます。私の心が折れるまで、ヒナギクの言動を分解していく。ここからが本番だ。
○四巻四話
「言ってくれれば助けに行きますよ」は、ヒナギクにとって特別な意味がある可能性が私にはまだ否定できない。妄想的に。だからスルーしたいところだけど、なんだかんだでグレパンさんの分解方法が近い気もする。
初登場時のヒナギクは、というより初登場以前のヒナギクは、まだハヤテに対する妹的関係性を構築してないので、わりと純粋に、理想を追求する方向、すなわち「姉の側」にあります。それが、借金がなくなってからのおよそ十年で形作られた、彼女が理想を追求してきた結果なのでしょう。
だからこの時点ではまだハヤテに対しても上から目線というか、守る側としての余裕ある態度で接している感じ。ハヤテをからかったりすることも含めて。
しかし、以前の記事でも書いたように、「ヒナギクではどうにもならない状況」をハヤテがあっさり解決した(実はこのかたちは四巻五話でも反復されます)ことで、若干、「妹の側」に天秤が傾きます。ただこの時点ではそれに流されはせず、自分の生徒会長としての権限をもって、時計塔の上に連れてって「あげる」という方法で、傾いたぶんを元に戻そうとしています。
後に明らかになることですが(十五巻八話)、生徒会のメンバーしか時計塔の一番上には行けないというルールは、実際のところはそんなに厳しいところではありません。わざわざ「生徒会の会長は私だから」なんて理由をつけなくても、十五巻八話で千桜が文にしたように、そんなに厳しい規則ではないという実態を告げればそれで済むことです。そこをあえて、「ヒナギクのおかげで時計塔の一番上まで入ることができた」という印象を与えるような言い方をしているのは、それによってヒナギクが自分の優位を回復しようとしていることの表れではないかとか思ったりするかもしないかも。
○四巻五話
すごいでしょ眺めすごいでしょ、とまるで我がことのように自慢。……まあ、我がことではあるんだけど。
「ヒナギクのおかげで見られる景色」にハヤテが素直に感動してることで、なんとなくここではヒナギクが優位に立っている感じ。
ところで、自分と対等以上の領域に一度でも立った同年代の異性というのは、ヒナギクにとってかなりのレアケースだったと考えられます。少なくとも、現時点で私はハヤテの他に知りません。
ヒムロや野々原あたりは微妙に違うというか……正確には、ヒナギクが反応するのは、自分より上の人がいたときではなく、自分が誰かより下になった時というか。なんかエロいな。
四巻四話でヒナギクはハヤテに一度「負けている」わけで、ヒナギクの奥の何かが反応するのは、そこに対してだと思うのです。
妹の側に動かされたり、姉の側に戻そうとしたり、しかしチャー坊でまたリードを取られたりしたりと。そんなふうに、ハヤテに対していまだ停止していないヒナギクの天秤は、有り体に言うならば「興味」というかたちをとって、とりあえず原点──対等な、名前の呼び合いをさせたのではなかろうか、とか。
「そのうち…マメにここへ出入りするようになるかもよ?」は、もう少しこの人と関わってみたいという興味と、ナギの性格を考えた上での予測(少し前の会話から、ハヤテが学校に行ってないということをヒナギクが察していてもおかしくはない → ナギがハヤテを白皇に通わせる可能性を見出した?)が混ざり合って出た言葉、かな?
その後、自分をヒナギクと呼ばせて、相手をハヤテと呼んだのは。
なんというか……尋常に勝負(=これから始まるであろうと感じたハヤテとの関わりあい)、の前に一度きちんと名乗りあうみたいな……そういうようなイメージを私的には抱いてるんだけど、他の人には伝わらない気がする。
要は、いろいろと揺れちゃってる天秤を、一度きちんとつりあった状態に戻そうとしているみたいな?
そして雪路乱入。
ここでのヒナギクは雪路を大きくリードしてます。四巻四話の分解の時にも述べましたが、この時点ではヒナギクは全体的に「姉の側」にあります。雪路に対して余裕の態度が見えます。
しかし、十巻九話でのヒナギクは、「お金を貸す」という事柄そのものは似通っていても、態度には大きな違いがあったりと。これもまあ、覚えていれば後に触れるかも。
ところで、いきなりですが、ここからは妄言と断じて構わないかもしれません。ヒナギクの高所恐怖症について。
言ってしまうと、高所恐怖症の克服は、ヒナギクにとっての理想の達成のメタファーであるとかちょっぴり思ったりしてます。
雪路が手すりに乗った時、ヒナギクは恐怖を殺して、前に進もうとします。
「さすが我が妹──」という途切れた台詞。ヒナギクにとってのその言葉はすごく大きな意味があったんじゃなかろうかとか、この言葉がちゃんとヒナギクに受け取られていればまったく別の物語になっていたんじゃないかとか、思うことはたくさんありますが、しかし雪路さんは足を滑らせ、その言葉をヒナギクが受け取ることもありませんでした。
そして、最も重要なのは、その雪路さんをハヤテが助けたことではなく、ヒナギクには助けることができなかったという考え方だと思うのです。
「さすが我が妹──」という言葉は、届かなかったんですよ。
姉が誇った妹は、しかし、助けられる位置にいたというのに、姉を助けることができなかったのです。
ハヤテがいなければ、当然のように救いなどなく、大切なものを失っていたのです。
このシーンは、概念的な解釈ですが、理想の達成を目前としたヒナギクが、ヒーローとして、最後にして最大の試練に打ち負けた、圧倒的な挫折の場面であると読み取れるのではないでしょうか(ちなみにSSのネタとしては、借金生活時代のヒナギクは無力な自分に、姉に頼りっきりの自分に嫌気がさしていた、姉の力になりたいと思っていたみたいな、ちょっぴりありそうだけどでも捏造な設定を盛り込んで、『姉を助ける』という最大最終目標をヒナギクに設定し、しかしそれはこの時打ち砕かれたのだー、と色をつける予定でした)。
ちなみに。
「ハヤテとの勝負」という味気ない話に戻るならば、この時点でその勝敗は完全に決しました。
姉が時計塔から落ちるという衝撃的な出来事を介したのもあってか、自覚はしてません(というか、「勝負」というような概念自体おそらく自覚してませんが)。しかし、無意識な部分で、ハヤテとの勝負は終わったのです。
ヒナギクは無力なまま、ヒーローになることなどできず、自分ではないヒーローが、自分の大切なものを守るさまを、ただ見ていることしかできなかったのです。この時点で、ハヤテに対する彼女の天秤は、妹の側へと傾いて落ちたのです。
つまるところ、「ヒナギクはいつハヤテを好きになったのか」ということを問い、それにあえて答えるならば、四巻五話でハヤテが姉を助けた(ヒナギクには助けられなかった)シーンが最も適当ではないかと、私は思います。
心が折れた。続きはまた今度。
・無力な自分と、どうにかしてくれる誰か(桂ヒナギクトゥルーエンド論その2)
あらすじ。
ヒナギクがハヤテを好きになった理由は、ハヤテとの関係において、両親がいなくなった頃の姉との関係性が再現されている──それは、ヒナギクにとってのヒーローとして、ハヤテと雪路が似ていることにも起因する──ことにある。
また、ヒナギクは、かつての姉の姿に憧れを抱いていて、それを目標とするかたちの理想すらも持っていると考えられる。
今まで言ってきたのってたったこれだけ。
こんなふうにまとめてみると、そろそろ私が何を言おうとしてるのかわかってもらえそうかも。
要するに、関係性の再現とヒナギクの理想は、並立し得ないんですよ。
○並び立たないもの
イメージ的な話をするならば。
ヒナギクの理想が、姉(ハヤテ)の姿を志向しているのに対し、ハヤテへの恋、すなわち、過去の姉との関係性の再現は、妹としての立場に再び収まるというような性質を持っているのです。「姉の側」と「妹の側」とでも言いましょうか。
これは、ヒナギクの心情的に(彼女がこのことを自覚したならば)相反してしまう事柄だと思うのですよ。
そして、自分の立ち位置を見極めようとした時、歩のこと(場合によってはナギも)を考えると、ヒナギク一人だけの結論は、妹としてある場所を拒絶し、相変わらず理想を追い続けることへと向かっていくのではないかと思うのです。
というわけで、ヒナギク論終わり。
以下、膨大な余談となることが予想されます。私の心が折れるまで、ヒナギクの言動を分解していく。ここからが本番だ。
○四巻四話
「言ってくれれば助けに行きますよ」は、ヒナギクにとって特別な意味がある可能性が私にはまだ否定できない。妄想的に。だからスルーしたいところだけど、なんだかんだでグレパンさんの分解方法が近い気もする。
初登場時のヒナギクは、というより初登場以前のヒナギクは、まだハヤテに対する妹的関係性を構築してないので、わりと純粋に、理想を追求する方向、すなわち「姉の側」にあります。それが、借金がなくなってからのおよそ十年で形作られた、彼女が理想を追求してきた結果なのでしょう。
だからこの時点ではまだハヤテに対しても上から目線というか、守る側としての余裕ある態度で接している感じ。ハヤテをからかったりすることも含めて。
しかし、以前の記事でも書いたように、「ヒナギクではどうにもならない状況」をハヤテがあっさり解決した(実はこのかたちは四巻五話でも反復されます)ことで、若干、「妹の側」に天秤が傾きます。ただこの時点ではそれに流されはせず、自分の生徒会長としての権限をもって、時計塔の上に連れてって「あげる」という方法で、傾いたぶんを元に戻そうとしています。
後に明らかになることですが(十五巻八話)、生徒会のメンバーしか時計塔の一番上には行けないというルールは、実際のところはそんなに厳しいところではありません。わざわざ「生徒会の会長は私だから」なんて理由をつけなくても、十五巻八話で千桜が文にしたように、そんなに厳しい規則ではないという実態を告げればそれで済むことです。そこをあえて、「ヒナギクのおかげで時計塔の一番上まで入ることができた」という印象を与えるような言い方をしているのは、それによってヒナギクが自分の優位を回復しようとしていることの表れではないかとか思ったりするかもしないかも。
○四巻五話
すごいでしょ眺めすごいでしょ、とまるで我がことのように自慢。……まあ、我がことではあるんだけど。
「ヒナギクのおかげで見られる景色」にハヤテが素直に感動してることで、なんとなくここではヒナギクが優位に立っている感じ。
ところで、自分と対等以上の領域に一度でも立った同年代の異性というのは、ヒナギクにとってかなりのレアケースだったと考えられます。少なくとも、現時点で私はハヤテの他に知りません。
ヒムロや野々原あたりは微妙に違うというか……正確には、ヒナギクが反応するのは、自分より上の人がいたときではなく、自分が誰かより下になった時というか。なんかエロいな。
四巻四話でヒナギクはハヤテに一度「負けている」わけで、ヒナギクの奥の何かが反応するのは、そこに対してだと思うのです。
妹の側に動かされたり、姉の側に戻そうとしたり、しかしチャー坊でまたリードを取られたりしたりと。そんなふうに、ハヤテに対していまだ停止していないヒナギクの天秤は、有り体に言うならば「興味」というかたちをとって、とりあえず原点──対等な、名前の呼び合いをさせたのではなかろうか、とか。
「そのうち…マメにここへ出入りするようになるかもよ?」は、もう少しこの人と関わってみたいという興味と、ナギの性格を考えた上での予測(少し前の会話から、ハヤテが学校に行ってないということをヒナギクが察していてもおかしくはない → ナギがハヤテを白皇に通わせる可能性を見出した?)が混ざり合って出た言葉、かな?
その後、自分をヒナギクと呼ばせて、相手をハヤテと呼んだのは。
なんというか……尋常に勝負(=これから始まるであろうと感じたハヤテとの関わりあい)、の前に一度きちんと名乗りあうみたいな……そういうようなイメージを私的には抱いてるんだけど、他の人には伝わらない気がする。
要は、いろいろと揺れちゃってる天秤を、一度きちんとつりあった状態に戻そうとしているみたいな?
そして雪路乱入。
ここでのヒナギクは雪路を大きくリードしてます。四巻四話の分解の時にも述べましたが、この時点ではヒナギクは全体的に「姉の側」にあります。雪路に対して余裕の態度が見えます。
しかし、十巻九話でのヒナギクは、「お金を貸す」という事柄そのものは似通っていても、態度には大きな違いがあったりと。これもまあ、覚えていれば後に触れるかも。
ところで、いきなりですが、ここからは妄言と断じて構わないかもしれません。ヒナギクの高所恐怖症について。
言ってしまうと、高所恐怖症の克服は、ヒナギクにとっての理想の達成のメタファーであるとかちょっぴり思ったりしてます。
雪路が手すりに乗った時、ヒナギクは恐怖を殺して、前に進もうとします。
「さすが我が妹──」という途切れた台詞。ヒナギクにとってのその言葉はすごく大きな意味があったんじゃなかろうかとか、この言葉がちゃんとヒナギクに受け取られていればまったく別の物語になっていたんじゃないかとか、思うことはたくさんありますが、しかし雪路さんは足を滑らせ、その言葉をヒナギクが受け取ることもありませんでした。
そして、最も重要なのは、その雪路さんをハヤテが助けたことではなく、ヒナギクには助けることができなかったという考え方だと思うのです。
「さすが我が妹──」という言葉は、届かなかったんですよ。
姉が誇った妹は、しかし、助けられる位置にいたというのに、姉を助けることができなかったのです。
ハヤテがいなければ、当然のように救いなどなく、大切なものを失っていたのです。
このシーンは、概念的な解釈ですが、理想の達成を目前としたヒナギクが、ヒーローとして、最後にして最大の試練に打ち負けた、圧倒的な挫折の場面であると読み取れるのではないでしょうか(ちなみにSSのネタとしては、借金生活時代のヒナギクは無力な自分に、姉に頼りっきりの自分に嫌気がさしていた、姉の力になりたいと思っていたみたいな、ちょっぴりありそうだけどでも捏造な設定を盛り込んで、『姉を助ける』という最大最終目標をヒナギクに設定し、しかしそれはこの時打ち砕かれたのだー、と色をつける予定でした)。
ちなみに。
「ハヤテとの勝負」という味気ない話に戻るならば、この時点でその勝敗は完全に決しました。
姉が時計塔から落ちるという衝撃的な出来事を介したのもあってか、自覚はしてません(というか、「勝負」というような概念自体おそらく自覚してませんが)。しかし、無意識な部分で、ハヤテとの勝負は終わったのです。
ヒナギクは無力なまま、ヒーローになることなどできず、自分ではないヒーローが、自分の大切なものを守るさまを、ただ見ていることしかできなかったのです。この時点で、ハヤテに対する彼女の天秤は、妹の側へと傾いて落ちたのです。
つまるところ、「ヒナギクはいつハヤテを好きになったのか」ということを問い、それにあえて答えるならば、四巻五話でハヤテが姉を助けた(ヒナギクには助けられなかった)シーンが最も適当ではないかと、私は思います。
心が折れた。続きはまた今度。


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